大判例

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福岡高等裁判所 昭和33年(う)1404号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金五千円に処する。

右の罰金を完納することができないときは、金二百円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

検察官波多宗高の陳述した本件控訴の趣意は、検察官鯉沼昌三提出にかかる原審検察官川口光太郎作成名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

同控訴趣意第一点について。

論旨は、原判決の認定事実中、被告人が帆足より所携の仕繰斧で顔面目がけて斬りかかられ、眉間を切られたため、このままでは殺されると考え、突嗟に帆足にしがみ付きつつ土間入口より表に押し出し、被告人方前路上にて揉み合つたところ、帆足が突然倒れ、右斧を振り上げていたので、これを奪い取つたところまでは、正当防衛と認めることができるけれども、被告人がその場において右斧で帆足の頭部に斬り付け傷害を加えた行為は、帆足が倒れて斧を取り上げられ既に防衛の対象たる急迫不正の侵害がなくなつた後に行われたものであるから、も早これを防衛行為と認めることはできない。記録によると、帆足は当時相当酒に酔つており、被告人もその事実はよく知つていた事が明らかであり、且つ被告人の供述によると、帆足は既に仰向になつて右手で斧を振り上げた恰好をしていたところを、その斧を取り上げられたのであるから、帆足にも早攻撃力がなくなつていたことが推測に難くない。従つてこの状態にある帆足に対して斧で頭部を斬り付けた被告人の行為は、新な攻撃であつて防衛行為でないことが明らかである。然るに原判決は、この事実を顧慮することなく、帆足が斧を取り上げられた後に更に攻撃に出る気配があつたという証拠が全くないに拘らず、被告人が斧で斬り付けた所為をたやすく防衛行為と認定したのは、重大な事実の誤認である。而して原判決がこれを過剰防衛行為と認定して刑法第三十六条第二項を適用したのは、大審院判例(昭和七年(れ)第三九八号、同年九月二十九日刑事第二部判決)にも反し、法令の解釈適用を誤つたものであり、右の事実誤認並びに法令適用の誤は判決に影響を及ぼすこと明らかである、というである。

よつて記録を調査するに、本件は被告人と帆足との二人だけの間で発生した事件であつて他に目撃者等は一名もない。被告人の兄向山修、兄嫁向山節子及び弟向山勁が真先に本件現場に飛び出して来ているが、いずれも本件犯行終了後であつたという。而して被害者帆足は、当審における事実取調の結果によると、当時酒に酔つていて被害の模様につき殆んど記憶するところがない。従つて本件犯行の具体的詳細については、あげて被告人の供述に俟つ外ない。そこで被告人の供述を検討するに、その司法警察員に対する自首調書、司法警察員及び検察官に対する各供述調書によると、被告人は寝しなに訪う人があるので、何心なしに勝手口の戸を開けたら直ぐ傍に人が立つていて顔を突き合わせたような恰好になり帆足であることが判り、鍬の柄のようなものを持つているのが目についたので瞬間アツと思い後に退つたところいきなり眉間にガシツとシヨツクを受けたので、これは殺されると思い、夢中になつて帆足にしがみ付いて行き、押すようにして表に出たところ何かに引つかかつたのか帆足が仰向に倒れた、見ると帆足は、倒れながら斧を振り上げたので、前後の見境もなく(これは殺されると思つて―検察官調書)その斧を取り上げて倒れている帆足の頭を二、三回叩いた、というのであるが、更に司法警察員の実況見分調書及び原審における検証調書によると、被告人方勝手口から帆足が倒れた位置までは約七米あり、その間に帆足の下駄が右勝手口附近に片方、倒れた位置附近に片方宛散在していたことが明らかであるので、被告人は斧で斬り付けた帆足にしがみつき同人を約七米押して行つて押し倒したものと思われ、なおその間多少とも揉み合があつたものと推認される。ところで、右によると、帆足は仰向に押し倒された上斧を奪い取られて頭部に斬り付けられているのであるから、この点だけを取り上げて見ると、所論のとおり、被告人が斧を奪い取ることにより帆足の攻撃力はなくなり、よつて防衛の対象たる同人の急迫不正の侵害は存在しなくなつたと言えないこともないようであるが、もともと被告人が狭い勝手口土間で不意に眉間を一撃されて突嗟に帆足にしがみ付きつつ同人を押して表路上に出、揉み合いながら約七米進み、同所で帆足を仰向に押し倒し、振り上げていた同人の斧を奪い取つてその頭部に斬り付けたままでの間の時間は、原審及び当審証人向山節子、当審証人向山修、同向山勁並びに向山節子の司法巡査に対する供述調書、向山修及向山勁の司法警察員に対する各供述調書、司法警察員の実況見分調書、原審及び当審における各検証調書によると本件犯行現場は被告人方玄関前で右向山修、同節子、同勁等が寝ていたところからは僅かに数米を出でない近距離であるところ、同人等が被告人の声を聞き急ぎ表に飛び出した時には既に本件犯行は終つていたというのであるから、この事から推しても極めて短時間の出来事であると思われるし、まして被告人が倒れた帆足から振り上げていた斧を奪い取り、右斧で同人の頭部に斬り付けた時間というのは、前後の情況から推して正に一瞬時の事であつたと推測される。帆足が被告人に押されて仰向に倒れたのは酒に酔つていたせいもあろうが同人に取つては全く不覚の失敗であり、その上斧を取り上げられては頓に攻撃力を失つたことにはなろうが、その前後、若しくは斧を奪い取られた瞬間又はその直後において帆足に攻撃の意思がなくなつたと見るのは、時間的にも前後の事情からも余りに穿ち過ぎた観察であると思われる。又左様な事実を窺うに足る何等の証拠もない。帆足は仰向に倒れながらもなお右手に斧を振り上げていたというのであるから、同人はなお攻撃の意思を有し、且つ攻撃を加えようとしていたものと推断するのが寧ろ相当であると思われる。所論は帆足は斧を取り上げられた後何等攻撃に出る気配があつたという証拠が全くないというけれども、それは上来説示のとおり斧を奪い取られて頭部に斬り付けられたのはいわば一瞬時の出来事であつて、単に左様な時間的余裕が全くなかつたことを意味するに過ぎないものと思われる。而して被告人が帆足から斧を奪い取り、これをもつて同人の頭部に斬り付けた際において、被告人はそれまでの防衛意思及び防衛態度を一擲して積極的な攻撃意思に変じ、よつて新な攻撃に出たものであると解するのは如何なものであろうか。勿論左様な事実を窺うに足る証拠は一つもない。眉間に不意の一撃を蒙つた被告人が、突嗟に帆足の身体にしがみ付き、しがみつくや帆足の身体を押して表路上に押し出し、更に続いて揉み合いながら同人を押して本件犯行現場にいたり、同所で仰向に倒れた帆足の右手から斧を奪い取り、奪い取りざま同人の頭部に斬り付けた被告人の所為は、出会いがしらに斧を振つて被告人の眉間に斬り付け、隙あらばなおも続いて攻撃を加えんとする帆足の急迫不正の侵害に対する一連の防衛行為と見るのが寧ろ相当であると思われる。証拠上は、被告人が奪い取つた斧で帆足の頭部に斬り付けた行為も防衛意思に基ずく防衛行為と見る外はないのである。従つて帆足が被告人より斧を取り上げられた瞬間をもつて前後に区分し、その瞬間以後にはも早帆足の急迫不正の侵害は存在しなくなり、被告人は防衛態度を止めてこれと別個の新な攻撃態度に移つたものであるとする所論には、たやすくくみし得ない。又仮令斧を取り上げることにより帆足の攻撃力が一時的になくなり、その直後においては(攻撃を加えようにもその時間的余裕なくして)更に攻撃を加える気配が何等窺われなかつたとしても、攻撃力が一時的になくなつた瞬間において、その一瞬前まで続いた急迫不正の侵害に対し、自己の生命を防衛するため、突嗟に、加えられた攻撃行為であれば、物理的な時間の関係では兎も角、法律上では、なお急迫不正の侵害が現在するものとして、これに対する防衛のための攻撃行為はそれが已むを得ざるに出でたものである限りにおいては、これは正当防衛行為と解するのが相当であり、已むことを得ざるに出でた行為の程度を逸脱することがあれば、これを過剰防衛行為と見るのが相当であると思われる。本件においては既に説示の如く帆足の急迫不正の侵害行為は斧を取り上げられることにより存在しなくなつたと見ることはできず、被告人も亦その直後防衛意思をやめて新な攻撃行為に出たものであるとは認められないので、被告人が帆足から取り上げた斧で同人の頭部に斬り付けた本件所為も亦これを正当防衛行為と解するのが相当であり、ただ既に斧を取り上げることにより帆足の攻撃力は急激に減退し、被告人の生命に対する急迫不正の侵害は著しく薄らいだと認められるのに、倒れている帆足の頭部に斧で斬り付けた被告人の本件所為は、いわゆる已むを得ざるにでた行為の程度を著しく逸脱したものというべく、正に過剤防衛行為に当るものと解するのが相当であると思われる。所論引用の大審院判例は本件とは事実関係を異にするので本件に適切ではない。以上説示のとおりであるから、結局これと同趣旨に出でた原判決は相当とすべきであり、原判決には事実の誤認もなければ法令適用の誤も存しないので、論旨は理由がない。

同控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について。

原審及び当審で取調べた証拠によつて窺われる被告人の性格、素行、生活態度及び前歴、本件において被告人及び被害者帆足が各演じた役割及び各犯行の態様並びに本件被害の程度その他諸般の情状を綜合して考量すると、被告人に対し相当憫諒すべき余地はあるが、原審が刑法第三十六条第二項を適用して刑を免除すべきものとしたのは、その量刑稍々軽きに過ぎ不当であると思われる。本論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百八十一条に則り原判決を破棄し同法第四百条但書に基ずき当裁判所において直ちに判決する。

原審の認定した事実に法律を適用すると、被告人の原判示所為は、刑法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内において被告人を罰金五千円に処し、右罰金不完納の場合における換刑留置につき刑法第十八条第一項を、原審及び当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を、各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青木亮忠 裁判官 木下春雄 内田八朔)

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